「うさぎ追いし、かの山。小ぶな釣りし、かの川」という歌があります。忘れがたい日本の故郷の原風景が歌われています。私の子供の頃の奈良の村はこの通りのところでした。
うさぎは至る所ではね回っていました。本山池の上の尾根には特によく現れ、麦の芽をかじって困ったものです。
さて、何と言っても、子供にとって一番魅力ある遊び場は池や小川の水辺でした。今回は子供の頃に奈良川で遊んだ思い出をお話ししましょう。
昨今では自然はなくなって、子供の遊び場もなくなり、創意工夫のこらしようもありませんが、昔は遊び道具もみんな手作りでした。竿は篠竹、針は針金、糸は母の針箱を開けて木綿糸をもらい、浮きは、牛の餌にするコウリャンの茎を切って作りました。餌は麦粒でした。
学校から帰ると自作の篠竹の竿をしょって、すぐタナゴ釣りに行きました。ホトケドジョウもゲバチもウナギもどっさりいて、ウナギは以前のことり橋のあたりで面白いようにかかったものです。
夏が来ると奈良川で水浴びもしました。田奈小の分校に通っていたある夏の日の学校帰りのことです。暑さに耐えかねて、奈良川の岸辺にせり出した木の枝に着物と教科書を入れた風呂敷包みをぶら下げて友達と夢中で泳いでいたら、聞きつけた先生に持って行かれてしまいました。困り切って謝りに行ったものです。また、夜になれば驚くほどのホタルが乱舞し、ちょうちんもいらないほどだったのです。
川は、暮らしの中の生き生きとした遊び場でした。
今でも、シジミやモクゾウガニ、サワガニ、ヨシノボリ、ヘイケボタル等がここには細々と生き延びています。
本山池とともに小川を復元し、失われてしまった豊かな水辺を取り戻すのが私の夢です。昔の小川や池を、暗くなるまで遊び暮らしていた子供時代を、生き物とともによみがえらせたいと思っています。